“期待”とは裏切られる宿命にある

『君には(大いに)期待しているよ!』
今、そんなことをいう上司やメンターがいるかどうかわからないが、ある時代までは当人を励ます常套句だった。当然、言われた本人もこの言葉を拠り所として、発奮できた時代もあった。

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画像はこちらからお借りしています

期待とは、字面通り純粋に捉えるならば“チャンス到来を待つ”こととなるのだが、一般的なイメージとしては、対象がどんなもであれ、何故かそこに期待する側の“欲”が投影されてしまっているような気がする。

だから、“期待する”という言葉には違和感を感じ続けていた。

と言いながらも、現実の僕は、この言葉に散々と振り回されてきました。
ほとんどのことをこの期待という意識の中で処理していました。
勿論渦中にある時は、そんなことなど思いもせず思考したり行動してきたのですが、いつのまにか期待という発想と共に生き続けてきてしまったようです。この気づけない、或いは勘違いしてしまうことも恐ろしい部分です。自分が、期待で行動していたことが分かった時などはとても気分が悪いです。

期待と共にある行動は、殆ど、芳しくない結果で終わります。
逆に考えると、結果がでなかったことは、期待し過ぎた表れとして捉えてもいいのかもしれません。
期待が大きければ大きいほど、そうではない結果に終わった時、失望感は計り知れないもの、ということは皆さんもよくご存じだと思います。

『君には期待していたんだがなぁ…』という言葉がセットとなって用意されていることを理解していたほうがいいかもしれません。
ただ仮に、こんなことを言われたって、大したことではないのです。
何故ならばそれは、相手の欲の現れでしかないからです。その言葉に自らの価値を投影させてしまうのはあまりにも勿体ないことです。

相手から思われる時も、自らが思うときも、“期待”という名を借りた“欲”が密かに隠れているのではないのか…、と確認できれば、大きく落ち込むことも少なくなるんですよね…。
目の前で起きてる現象はありのままででしかありません。それ自体が裏切ったり何にも悪さをしているわけではないんですね。裏切られたように感じてしまうのは、期待のなせる業なのです。

では、期待に代わる有意義な意識とは…、今浮かぶのは、“信頼”とか“希望”となりますでしょうか…。
当然、期待もチャンスを辛抱強く待つ、と捉えるならば大いに有益だと、考えるのです。

画像の公式は、期待値という、ある事象が起こる確率を数値化するためのものです。ここで述べた心(感情)として発生する期待とは全く別物となります。私のやっているトレードにも期待値ということが出てきます。こちらもある手法が確率的にどれだけ有効に作用するのか?ということを数値化して捉える、ということです。

心の期待も、そうやって数値化して捉えることができればとても楽なんですが…(笑)

hih



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